すべては自分を活かすためにある
すべては自分を活かすためにある
先生という職業
コーチやコンサルの人
親が子どもになにかを教えるとき
その多くは教えすぎている
自分の価値を証明するかのように
子どもやクライアントを利用しているようにも見える
僕が先生という仕事をしているとき
まさにそうだったし
周りの先生のほとんどがそうだった
皮肉なことに
先生という仕事を辞めて
ランニングコーチをしているときに
自分がいかに教え過ぎていたのかということに
嫌というほど思い知らされた
学校の教師をやっているときには
教えることが正しいと信じきっていたので
まったく気がつかなかったのだが・・・
例えば
走ることを教えるとき
ランニングフォームやトレーニングの目的は
自分自身を活かしきるために
教わったり、学んだりするもののはずが
いつの間にか
良いフォームを身につけることや
正しいフォームを知ること
速く走ることが目的になってしまっている
手段が目的化してしまう
例えば不登校なんかも
学校に行くのは手段のはずが
どうした学校に行けるのか?
と、学校に行くのが目的になってしまって
子ども自身が置き去りになっていたりする
不思議なことに
教えるのをやめると
自分の中にあるもの
自分の中に持っているものを
そっくりそのまま出していく
自分で勝手に
自分の力を引き出していく
例えば
部活動の指導をしているとき
懇切丁寧にランニングのコツを教え込んでいた