すべては自分を活かすためにある
先生という職業
コーチやコンサルの人
親が子どもになにかを教えるとき
その多くは教えすぎている
自分の価値を証明するかのように
子どもやクライアントを利用しているようにも見える
僕が先生という仕事をしているとき
まさにそうだったし
周りの先生のほとんどがそうだった
皮肉なことに
先生という仕事を辞めて
ランニングコーチをしているときに
自分がいかに教え過ぎていたのかということに
嫌というほど思い知らされた
学校の教師をやっているときには
教えることが正しいと信じきっていたので
まったく気がつかなかったのだが・・・
例えば
走ることを教えるとき
ランニングフォームやトレーニングの目的は
自分自身を活かしきるために
教わったり、学んだりするもののはずが
いつの間にか
良いフォームを身につけることや
正しいフォームを知ること
速く走ることが目的になってしまっている
手段が目的化してしまう
例えば不登校なんかも
学校に行くのは手段のはずが
どうした学校に行けるのか?
と、学校に行くのが目的になってしまって
子ども自身が置き去りになっていたりする
不思議なことに
教えるのをやめると
自分の中にあるもの
自分の中に持っているものを
そっくりそのまま出していく
自分で勝手に
自分の力を引き出していく
例えば
部活動の指導をしているとき
懇切丁寧にランニングのコツを教え込んでいた
そうやって1年くらいやって
ようやく身につけていたことが
今ではたったの1時間で
その感覚をつかむようにコーチできるようになった
1年が1時間ですよ
自分でも最初はビックリだった
これはランニングだけでなく
すべての分野
すべての生活
人生全般に応用ができることにも
最初は驚いた
親子塾にきて
短期間に変化が見られるのは
そのためだと思っている
こういうと
「子どもの力をどう引き出すのか?」
という質問がよくくるが
親や先生
教え導く人がやることは
子どもが自分にOKが出ているかどうか?
が土台なのだから
大人は余計なことをしないことだ
大人にできることは
こどもを変えようとするのではなく
大人自身が成長することだろう
例えば
こどもが
どんなことをしても
どんなことを言っても
それをそのまま認めることができるのは
大人自身が自分自身と向き合ういがいにない
今の世の中は
子ども本人が
何を感じているのか?
どう感じているのか?
本音はどう思っているのか?
はまったく無視され
世の中の基準や大人の価値観に
どうしたらなれるのか?
ばかりになってしまう
オリンピック選手や一流選手がやっているから
これはいいんだぞ
とか
大人が自分の経験から先回りしたり
ひどいめにあった体験を子どもにさせないようにしたり
すべては自分を活かすことにある!
こどもの人生の主人公はこどもなのだから
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