ないと思えばない あると思えばある
先日、ある塾生から
「仕事が楽しくないのはなぜなんでしょう?」
と尋ねられた
僕が真顔で答えるなら
「楽しくないから楽しくないのでは?」
というミモフタモナイ答えになってしまう
例えば
出会いが無いとか
チャンスが無いとか
そう考える人は
「チャンスがあれば私だって……」
「出会いがあれば私だって……」
と考えていらっしゃるのかな?と思う
「自分には力が無い」 「才能がない」
「自信がない」
「勇気がない」 とかとか
でも、本質的には、無いから、無いんで
無いとしたら、当然、無い
それが有ると認識している人にとっては
有るわけですから
もちろん、そんなことを真顔でストレートに言ったら
「けんさんはまちがってます。なぜなら、私の状況は……」
いくらでも「無い」ように見える理由を教えていただけると思う
こうした世界の見え方を
「視野が狭くなる」
とか
「次元が下がる」
とか
「解像度が下がる」
とか表現することがある
解像度が下がると、決まった1枚の絵しか見えなくなる
ここで注意が必要だな
と思うのは
方法論化されたことや
既存のシステムや
ハウツーで「こうすればこうなる」的なものや
学校教育や社員教育などで
毎年決まったルーティンで働いたり
オンラインでビデオ学習するなど
一方的なコミュニケーションや
成功哲学をはじめとした
自己啓発は
明らかに解像度を下げる
なぜなら
それらはすべて
「パターン化」だから
単純化は色を消してドット絵化する
引き寄せの法則
など諸々の法則ってやつも同じ
それらに出会った瞬間は
過去のパターンとはちがったパターンなので
新鮮な驚きとともに
自分の世界を広げてくれる
新しい見え方
別の世界の選択肢を提示してくれる
しかし