スポーツの合宿地として
夏合宿の菅平
夏の黒姫
夏合宿の妙高
夏合宿の北海道
など、
メッカと呼ばれるようなところがある
たくさんの人が
それこそ、もうたくさんの人たちが
そこに集まる
なにかを基準にしたとき
1流選手
2流選手
3流選手
…
といった評価があるものだが
その時
例えば
200人のランナーが
1つのグラウンドで
それぞれが必死に練習しているとき
200人の中から
「この人の才能はピカイチ!」
と感じる見え方ができる感性と
みんな同じに見える感性とで
全然見え方が違う
熊本大学の教育哲学の助教者
苫野さんは
医者がレントゲン写真を見る見方と
普通の人がレントゲン写真を見るのとでは
見え方が違う
と表現している
確かにそうだ
しかし
これでも親子塾においては
この説明では足りないというか
薄い感じがする
同じ医者でも
本質を見ることができる医者と
知識だけで見る医者がいる
専門知識があるから
本質が見えるわけではない
医者がレントゲン写真を見るのと
整体師がレントゲン写真を見るのとでも
見え方が違う
整体師の僕がいうと
なんだか傲慢な感じがしたり
調子に乗ってる感じがすることもしれないけど
等身大に
そう言わざるを得ないくらい
見え方が違う
医者は診断することが目的なところがあり
治療というと「手術」か
そうでなければ「シップを出され、安静にして下さい」で終わりな側面が強かったりする
一流のお寿司屋さんが
魚を目利きする感覚は
知識だけでなく経験則や色艶など複合的に見ぬいていて
言葉では説明できない感性がある
テレビ番組の「なんでも鑑定団」で
陶器の名鑑定士さん
「いい仕事してますねぇ」
という名台詞の中島誠之助さん
ニセモノとホンモノを一瞬で見抜く見え方と
どっちもホンモノに見えたり
ニセモノがホンモノに見えたりする見え方を
素人はしてしまう
この違いはなんだろう?
陶器は見抜けなくても
人生の本質を見抜く目利きになるには?
は、自分らしく生きるための心眼力
アロマセラピー
ヨガ
マインドフルネス
ティール組織
などなど
巷でもてはやされてるワード
有名人が
「これがいい」
という報道がされたとき
その何がいいのかの本質を腹落ちしてるのか?
それとも
権威のある人がいいというから「良い」というのか?
世の中でヒットしてるから「良い」と思うのか?
この違いがわかるかわからないか
「これいいよね」
だから、「それを目指す〜」
ではなく
「わかるぅ〜」
という感覚
上映中の映画「鬼滅の刃」の中で
炭治郎が夢の中で
愛する家族に出会い
「そこにいたい」というエゴの声を統合し
エゴを自分で殺す覚悟・丹力
僕もまだまだかもしれないが
この心眼力を身につけることが
親子塾のスタッフには
求められている
そんなことを新年に思う
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