正しい!間違ってる!
って言い出すと
なにが起こると思いますか?
「ケンカ」
「言い合い」
「支配」
「コントロール」
「緊張」
「依存」
「暴力」
「排除」
などなど
会話が
「対話」ではなく
どちらが正しいか?
というディベート的なものになるか
勝った負けたになったり
従うか拒絶するかみたいな
親子塾は
そういうことがやりたいんじゃない
「対話」
本当はなにがあったらいいのか?
あなたはどうしたいのか?
何を感じているのか?
何が欲しいのか?
何が問題なのか?
ってところ
例えば
「めんどくさい」
親子塾へ来る小学生は
感性がとても高いので
自分がキャッチした感覚や感情を正直に言ってくれる
やりたくない!って言葉の下には何か感情がある
それはなにか?
「めんどくさい」
「退屈そう」
じゃあ、そう思うその下に
本当はこれが欲しいんだよーーーって言うのがある
「自由に過ごしたい」
「ゴロゴロしたい」
それが満たされてないんだーって言ってたりする
本当にそうなのか?
本当にそうなのだが・・・
今の社会では
「めんどくさい」
と言っただけで否定されたりするのが当たり前
そんなこと言っててどうすんだ!的な
「そんなの自由じゃないだろ」的な
「甘ったれてる」的な
「そんなこと言ってると社会で通用しません」的な
昔の僕もそう思ってました・・・
さて
さらにその下の感覚にたどり着くまでには
さらなる対話が必要
そして
自分の内面にある
心の奥底にある感覚を
ハートをオープンにして表に出すには
絶大な安心・安全な空気感があっても
なかなか出せないものだ
当の本人も気づいていなかったり
ないことにしていたり
間違っていると確信していたりするもんだから
これまでの環境の中で
相当痛めつけられているとも言えるので
自分を信用できないから
誰も信用できていない
無意識レベルで
勇気をふり絞り
本音を話せば
「必ず否定される」という決定事項になってしまっていて
内面を話す
という選択肢がゼロどころかマイナス500くらい
だから時間がかかるとも言えるが
小学生は傷が浅いので1ヶ月前後で本音を話し始める
20代だと3ヶ月ほど
大人だと・・・
そこからがスタート
話がどんどん深くなるので
今日はこのへんで
「対話」を深いレベルでできたときに
自分らしさとつながり始める気がしている
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