不登校や引きこもり、生きづらさや「なにか違う」というモヤモヤやイライラ
それは、いわゆる『常識』というものの考え方の中で
「それは自分の感覚とは違う」
「それは自分には合わない」
と言っているだけのように聞こえる
『常識』の中で答えを探しても、答えはない
例えば
「学校へ行きたくない」と言っている子がいたとき
「どうしたら学校へ行けるのか?」というトンチンカンな質問をしてしまう大人が大多数
残念ながら・・・
どうして行きたくないのか?
何を感じているのか?
なんて、本人さえもわからないことが多いのは
周囲の大人たちは
学校に行くのは良くて、行けないのは悪い
学校へ行くのが常識で、行かないのは非常識
学校へ行くのが当たり前で、行かないのはおかしい
学校へ行かなくてもいいなんて言えるわけがない
学校へ行きたくないのなら行かなくてもいいと私は思うのだが、周り(世間体)が・・・
などなど
親も先生も、大人がこの立ち位置である以上
「どうしたら学校へ行けるのか?」
という大人たちの無言のプレッシャーに対抗・抵抗するのに精一杯で
子どもたち自身が
自分がなにを感じているのか?なんて、
そんなことをさせてもらえる時間や許してもらえる人すらいないのだから
そうは言っても・・・
ん〜・・・
そんなんじゃ、社会に出たら困るでしょ
や
行かなくてもいいんですね?
という質問
子どもが不在過ぎて、涙が出てくる
その結果が8050問題
その予備軍と言われる人が多数
不登校・引きこもり・自殺が減らない
常識なんてない
普通なんてない
当たり前ってなに?
生きるためのレシピなんてな〜いさぁ〜♪
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