例えば
アフリカとかのサバンナに生まれれば
サバンナで生きていくことに適応して
狩りに出かけたりすることが当たり前だったとしよう
もし
ここで育った人を目隠し耳栓をして
渋谷の交差点まで連れてこられたら
腰を抜かすことでしょう
信号なんて知らないし
車がガンガン往き交い
服装からなにまで観るものすべて
自分の信じていた世界が壊れるかもしれません
良い悪いではなく
「当たり前」「普通」が違う
極端な例かもしれませんが
育った環境によって
「こういうもんだ」と信じるようにできている
日本に育てば
学校に行くのが当たり前
そう信じて疑わない
まるで
それ以外の選択肢がないかのように信じている
本当にそうなのか?
子どもが不登校になったとき
問題だと思うように感じたとき
少なくともこの「学校に行くのが当たり前」
「こうしなければいけない」
「ああすべきだ」
「こうしたほうがよい」
という観念を疑ってみることから始めると
親も子どもも先生も
もっと楽になって
もっとクリエイティブなアイディアが出てくるのになぁ
と思う
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