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  • けん

できるかぎり「自分自身」でいること

自分自身でいる


といわれても


「もう自分なんですけど」


ということを言っているのではなく




「いったい私は誰のための人生を生きているのか?」


ということを自問自答してみると・・・




「怒られないように」


「褒められるように」


「そんなこと誰もやってない」


「こうすべきだ」


「こうしなければいけない」


「これがよい」


ということを設計図に生きていたりする




自分が無意識に信じていることは


以外に多い





例えば


小さい頃に


「学校には行くもんだ」


ということを教え込まれたがために


「行かなきゃいけない」


「行くべきだ」


と信じてしまっている





それ以外の選択肢は「❌」


なので


それ以外の選択肢は初めから存在しない


(かのような当然の顔をしている親や先生が多い)





本当にそうなのか?


ということは誰にもわからない




20年前


喫煙が当たり前の世の中だった


それが今は禁煙が当たり前


20年前に


「臭くて煙たくてたまらない」


と言ったら変な目で見られたものだ




40年前のジェンダーもそうだろう





これから先の時代を作るのは


「自分」を持っている人だろう




外の基準で「正しい」ということを


無意識に信じて生きるのでは


幸せはないのは間違いない



自分自身でいられないのだから





感性が高い子は


このことにどこか気がついていると感じる




型にはめ込まれることに対して


「僕にはムリ」


「私は苦しい」


と叫んでいる