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  • けん

観察と監視

更新日:2020年6月9日

一連のコロナの影響により

家族と過ごす時間が増えたり

今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなかったことに気づいたり

予定調和の中での目標であったことで、目標自体を見失いかけていたり

1人で家で過ごす時間が長くなることで、なにをしていいのかわからなくなったり

などなどなどなど

と、ある意味で強制的に人生と向き合う事態となっている


親子塾においても

現状の不安や怖れへの対処することの駆け込み寺的な役割をになっている状況に日に日になってきており

話を進めていくうちに、最終的には家族関係の問題に行き着くことが多い



コロナウィルスの状況が報道されはじめたときに


「金融は崩壊しちゃうのかなぁ」

「教育はどうなっていくのかぁ」

「家族が向き合わざろうえない状況になるなぁ」

「自分の感情とどう向き合うのかを伝える必要があるのかなぁ」


などと、つらつらと危惧していた



自分の不安

イライラやモヤモヤ

をどう扱ったらいいかなんて考えもせずに(ただ単に反応してしまう)

相手のせいにしたり

感情を相手にぶつけたりして

周りをディスカウント(「もっとこうした方がいいんじゃないの」など、相手を値引きしてしまうこと)が多いのではないでしょうか?



親子関係においては特に

親にとって子どもは、「イライラポイントをわざとやっているのではないだろうか」

と思うほど、子どもの一挙手一投足が気になる場合がある


「親の背を見て子は育つ」

とはよく言ったもので

自分と似ているがゆえに、イライラしてしまうもの


「なににイライラしているのか?」

と自問自答してみると・・・

子どものせいにしていたり、

しつけだと信じていたことだったりしたことが

実は自分で自分に制限していたことを子どもがやっていることだったり

自分が親に「しつけられた」ように、子どもを「しつけ」しちゃってることに気づいたり・・・



親が成長するため、親がもっと自由になるため

親が自分のどこと向き合えばいいのかを浮き彫りにしてくれるのも子どもなのだが

なかなかそうは思えない



子どもの幸せを願ってやっていることが

実は子どもを不幸にしているとしたら

それはとても悲しいこと



タイトルにした「観察と監視」

いろんな捉え方があるが

まずは子どもを監視ではなく観察するという視点をもってみてはいかがでしょうか?

と、親子塾からの提案



そして、親自身も自分のことを

「こうしなければ」「ああしなければ」

「こうすべき」「ああすべき」

「こうしたほうがよい」「ああしたほうがよい」

「これをしちゃいけない」「あれをしちゃいけない」

と監視するのではなく

自分の頭の中で、自分になにを言っているのかを観察してみてはいかがでしょうか?

と、こちらも親子塾からの提案



監視するのではなく、観察しなければいけない

と言っているではなく

観察した方がよいわけでもなく

監視するのが悪いといっているのでもない



まずは現在地を知ること



その1つの視点・指標に

今日は

「観察」と「監視」



コロナがくれた時間を

自分にやさしく

子どもにやさしく

自分と向き合う時間となれば幸いです









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