問題は
退屈な人生を紛らわせるために
作り出している
最初にこの言葉を聞いたとき
怒りさえ湧いてきて
「そんなこと、あるはずがない!」
と思ったもの
今でも、ときどきそう思っちゃいますが・・・
問題がない人生って
実はつまらない
すべての問題には暇つぶしの要素があるはず
自分らしく生きるのは怖いし
批判されたり、みんなと違うという世間体も嫌
これまで学校で教えてもらった生き方と
自分らしく生きる生き方とは
180度違うから
この辺りの理解は難しいのだが
自分らしく生きないよい言い訳にもなる
「こんな問題があるから無理なんです」と
そうかといって
問題も何もない人生はつまんない
日常的に話すゴシップの内容や
世間を賑わすニュースは
ほぼすべて問題について
嫌なニュースなのに
その方が売れるし、みんななぜか見る
自分で問題をつくりだし
そしてその問題を自分で解決して「やった!」と大喜びしたり
もしくはドーンと落ち込む
あるいは人のせいや
問題のせいにして
人生のポーズボタンを押してしまう
この感情の振れ幅を楽しんだり
暇つぶしにつかっている
この辺りがわかってくると
ネガティブなことが怖くなくなってくる
そして
人生で作りたいものが何なのかがわかってくる
どうしてこんな問題を作っちゃったかな?
って思った方が健全で
すぐに抜けられるようになってくる
「問題には、解決策も一緒にやってくる」
というセミナーをやったことがあるが
この辺りのことを詳しく説明していて
裏テーマとして
「次のレベルの人生で使うスキルを学ぶためにやってくる」
ということをお話しした
ある意味で
問題が起きたら「やった!」と思える感性が大事で
「やった」と思えなかったとしたら
それはダメなことではなく
ただ単に「器が小さいんだな」って等身大に受け取って
落ち込むのと同じくらい「やった」と思える感性を磨いていく
世の中で中途半端に成功している人が自己実現できないのは
そこである程度満足してしまうし
社会的な評価もあったりするから
問題とかピンチを
そういう風に多角的に見られることができたら
祝福だって思えるようになってくる
問題だけでなく
日常的に起きること
人生で起きることはすべて
自己実現のために起きていることだって思える
「問題は幻想だった」ってことに気づいた人や
世の中のカラクリはこうなってんのか?って気がついた人たちや
心の仕組みはこんなふうになってたんだ!って気がついた人たちのいうことは
いつも似ている
問題を軽くとらえられれば直視できるものも
重くとらえた人は、そこでグルグル回ってしまう
過去の体験や教え込まれた生き方の観念から
自分で問題を作り出し
問題の周りでグルグル回ってるからやっかいで
この観念がある限り、問題を作り続ける人生になってしまう
自分らしく生きたいと思う人の参考になれば幸いです
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