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  • けん

学校に行かない学びの場

更新日:2020年6月9日

「学校に行くもんだ」

それしか選択肢がないのかと思っていた


誤解を恐れず言えば

義務教育というものは子どもが「教育を受ける義務」があるのではなく

親が「教育を受けさせる義務」がある


それがいつしか小中学校は義務教育

「公教育を受ける」のが義務という認識になってしまって

そこに疑問すら感じなくなっているのが現状ではないでしょうか


もちろん学校教育法という昭和22年にできた法律があり

教育を受けなくてもいいというものではありません


平成を経て令和になり、価値観の多様な子どもたち


中でも、感性がとても高く繊細な子どもは、一律「みんなと同じ」ペースでは苦しくて

「こういうものだ」という押し付けやコントロール

アメとムチで動かそうとする先生

「正しさ」で押し切る先生

などなど


適応させようと必死に頑張る先生たちと

適応できない自分は悪いと思ってしまう子どもたち


そんな子どもたちは、不登校や不適応というレッテルを貼られてしまう可能性が高くなる


日本人は特に、「みんなと違う」というだけでストレスに感じる人が多く

「失敗しないための人生」というフィルターで子どもを見てしまったり

「しつけ」という名の強制や暴力が正当化されてしまったり・・・




教育にとって必要なことは、なんなんでしょうか?




学校を否定するつもりは毛頭ありません


ただ、学校が全てではないとも思います


もしも

子どもが学校に対してストレスを感じていたり

行けなくなってしまっていたり

身体になんらかの症状が出てしまっていたり

なにか様子が変だったり


そんな子に

「正しさ」を押し付けたり

「将来困る」と脅したり

「どうしてそうなの」とやさしくよりそっていたり

しても

ますます問題が悪化していく状況を何度も目にしてきました



反対に

いわゆる「いい子」だから安心していたとしても・・・

過適応しているとすれば

それもいずれ破綻してしまうかもしれません



いきたくもない学校にむりやり頑張って行って

限界を迎えるまで必死に頑張っていくことが

まるで素晴らしいかのように褒めている状況もあったりします


それで乗り越えられる子は、自分の心がどんどん感じられなくなっていく


うまく乗り越えられたかと思ったかと思ったら30歳〜40歳で心が折れてしまう例も少なくありません



今、この瞬間

できることがあります



教育機会確保法という法律が施行されました


この法律でもまだまだ不十分な感はありますが、それでも「学校復帰を前提としない」ということが盛り込まれ、学校以外の場も学びの場として認めることが法律で決まったことはとても大きな進歩だと感じています


学校現場で、このことを知っている先生は、現時点では、ほとんどいないのが現状でしょう



親子塾は、

子どもと保護者と学校と

それぞれの立場がよくわかる第3者として

元教員であるスタッフが

学校と家庭の『通訳』をするように、なにが問題なのか?を明確にしていきます



学校がダメ、学校以外が良い

と、言っているのではありません



この子にとって、今なにが大事なのか?

一緒に考えてみませんか?










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