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  • けん

感性を高める

ピュアな感覚の認知・知覚



これが人生のナビゲーションシステムの質を高める





身体感覚の感性を高める


感情の感性を高める


人間関係の感性を高める





観念的に生きているとき


誰かが犠牲になったり


誰かが役割にハマったり


誰かが我慢したりしないと


うまくいかないという思いにとらわれてしまうことが多い




犠牲・役割・我慢などが


美徳と捉えられることも多いので


ハマっている人も周りも


それが正しいことだと信じている




居心地が悪いにもかかわらず


それが「正解」みたいな集団の圧力があったりすると


自分がイケナイとか、自分が悪いとか


思ってしまうか


相手がイケナイとか、相手が悪いとか


思ってしまう





よくよく自分の感情を感じていくと

怖れ、疑い、妬み、嫉み、競争、孤独、敗北、不足、失敗、、、



そんなフィルターを通して


生きていることに気が付いたりする





このことを体感的にわかったのは


僕の場合は、ランニングを通してだった




ランニング中に自分の身体が感じる感覚を


主観を交えずに(フィルターを通さずに)


そのまま丸ごと客観視する(ピュアに認知する)ことが出来たら


自分の立ち位置がわかるだけでなく


もっとも快適だと感じるフォームになる



これが教科書的に説明されているようなフォームに近いから驚く




「これが正解」


「こうすればよい」


というアドバイス通りにやろうやろうと頑張ってもできないことなのに




速く走ろうとか


ラクに走ろうとか


「アドバイス通りにしよう」とか


そういうことを「やろうと」頑張っているときには


叶わなかったことが




ただただ中立に、ピュアに感じることができたとき


速く走れて


ラクに走れるのだから


なにが起きているのかを頭で理解することはできないが


結果的にそうなっているもんだから


最初は不思議で仕方なかった




フローということとか


ゾーンということは


のちのち知ることとなったのだが


頑張るのをやめるとうまくいく




うまくいくといっても


自分の期待通りになるということではなく


自分の人生にとってベストな状態になっているという感じ




これはランニングにかぎったことではなく


人生すべてに当てはまる





そのためには


頑張ることをやめ


頭で考えるのではなく


正解を求めるのでもなく


感性を高めることに尽きる





人生のナビゲーションが「正しさ」「正解」「優れている」という


自分の外の価値観をOSにして生きている人にとっては


なにを言っているのかがわからないと思う



学校で教わることの大半が「正しさ」を基準にしているのだから


当時の僕には自分がなかった






自分らしく生きるには


「自分がある」状態で


自分が基準で


自分軸で生きるということ




わがままではなく


「自分がある人」というのは


人間関係にも調和が保たれている





いずれにしても


自分の感性を大切にするには


観念を手放していくことの結果として


感性が自然に高まっている





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