子どもを信じるとは、どういうことだろう?
― 期待する結果を待つことと、無条件に受け止めること ―
120 DAYS PROJECT|Week 4
「このままで、大丈夫だろうか」
子どもが学校に行かなくなった。
昼夜が逆転している。
ゲームばかりしている。
将来のことを考えているようには見えない。
そんな姿を見ていると、親として心配になるのは自然なことです。
いつか学校に戻ってほしい。
いつか勉強を始めてほしい。
いつか自分から動き出してほしい。
子どもを信じて、待っている。
でも、少し立ち止まって考えてみたいのです。
私たちは、子どもを信じているつもりで、自分が期待する結果を待っているだけになっていないでしょうか。
「大丈夫」という言葉が届かなかった
先日、「ひまわりの会」主催の講演会で、みつさんが話してくれたエピソードが心に残っています。
深い絶望の中にいた19歳の女性との関わりです。
みつさんは、その女性と一緒に過ごし、彼女の苦しさを受け止めようとしていました。
そんな中、彼女の中に生きていこうとする気持ちを感じ取ったみつさんは、
「大丈夫」
と声をかけました。
ところが、返ってきたのは思いがけない言葉でした。
「今、強迫しましたね」
みつさんは、その言葉に愕然としたそうです。
自分としては「(あなたなら)大丈夫」と伝えた。
けれど、本人はまだ大丈夫だと思えていない。
その状態での「大丈夫」という言葉は、
「そう思い込め」
という大人からのコントロールに感じる可能性があるということ。
みつさんは、その反応を否定せず、
自分の言葉がどう届いたのかを受け止め、対話を続けました。
僕は、この話の中に、
「無条件の受容」、つまり「全受容」の大切な意味があると感じています。
受容とは、安心させることではない
私たちは、苦しんでいる人を見ると、何とかしてあげたくなります。
励ましたい。
安心させたい。
元気になってほしい。
でも、その願いが強くなるほど、
相手が今感じていることよりも、
こちらが望む状態に意識が向いてしまうことがあります。
「大丈夫だよ」
「きっと良くなるよ」
「あなたならできるよ」
どれも、相手を思う気持ちから生まれる言葉でしょう。
けれど、相手が今、大丈夫ではないのなら。
その「大丈夫ではない」という気持ちを、
そのまま受け止めることはできるでしょうか。
不安なままでもいい。
迷っていてもいい。
今は答えが出なくてもいい。
その人が今感じていることを、こちらの都合で変えようとしない。
それが、全受容の一つの姿なのだと思います。
もちろん、受容することは、必要な支援や安全を守る行動をしないことではありません。
相手の気持ちを尊重しながら、必要なことは一緒に考える。
その両方が大切なのだと思います。
変わることを条件にしない
みつさんの話には、その後の続きがあります。
その女性は、しばらく一緒に過ごした後、
自分の意思で家に帰ることを選びました。
みつさんには心配もありました。
それでも、本人の選択を受け止め、送り出しました。
そして約1年後、「ここで働かせてください」と彼女は再び訪れます。
この話を聞いて、僕は一つ大切にしたいことがあります。
それは、「信じて待ったから、彼女は変わった」という成功物語にしないことです。
もし彼女が帰ってこなかったら。
もし働き始めなかったら。
そのとき、みつさんの関わりには意味がなかったのでしょうか。
僕は、そうは思いません。
彼女がどんな選択をしても、
どんな状態にあっても、
その人として受け止めようとしたこと。
そこにこそ、全受容の本質があるように感じます。
子どもを信じる前に、自分を見つめる
信州親子塾でも、子どもたちから多くのことを教わってきました。
子どもが動かないとき。
学校に行かないとき。
大人の言うことを聞かないとき。
私たちは、つい「どうしたらこの子が変わるだろう」と考えます。
でも、そこで少しだけ、問いの向きを変えてみる。
「なぜ私は、この姿を見ると不安になるのだろう」
「私は、この子にどうなってほしいのだろう」
「その期待は、本当にこの子の願いなのだろうか」
そして、もう一つ。
「私は、自分自身のことを、そのまま受け止めているだろうか」
子どもには「失敗してもいいよ」と言いながら、自分の失敗は許せない。
子どもには「自分のペースでいいよ」と言いながら、自分は周囲の期待に応えようと無理をしている。
そんなこともあるのではないでしょうか。
みつさんは講演の中で、
「子どもたちは大人の不完全さも受け止めてくれている」
と話していました。
完璧な親になる必要はない。
立派な支援者になる必要もない。
まず、自分が今、何を感じているのか。
その自分を否定せず、受け止めてみる。
子どもを変えようとする前に、自分自身に還っていく。
そこから、子どもとの関係も少しずつ違って見えてくるのかもしれません。
そして、失敗しながらも自分のあり方を模索し続ける大人の姿は、
それだけで子どもに何か大きな力を与えているのかもしれません。
信じるって、どういうこと?
昨年の「繊細さと不登校」全国フォーラムで、信州親子塾の子ども・若者たちから、こんな言葉が寄せられました。
「心配ではなく、信頼して欲しい」
信頼とは、何もせずに放っておくことではありません。
困っているときには寄り添う。必要な環境を整える。一緒に考える。
でも、本人の人生を、大人が代わりに生きることはできません。
期待することが悪いのではありません。
心配することが悪いのでもありません。
ただ、その期待が、いつの間にか子どもを信頼するための条件になっていないでしょうか。
学校に戻っても、戻らなくても。
すぐに動き出しても、まだ動き出さなくても。
その子の価値は、何も変わらない。
そして、心配してしまう私自身も、否定しなくていい。
すぐに答えを出さなくてもいい。
自分が期待した結果にならなくても、私は、その子を信じられるだろうか。
あなたにとって、「子どもを信じる」とは、どういうことでしょうか?
120 DAYS PROJECT|Week 4
信州親子塾では、WAM助成事業「HSCを生きづらさにしない!」に取り組んでいます。
2027年1月23日のフォーラムに向けて、HSC・不登校を入り口に、教育そのものを問い直す120日間。
子どもを変えない教育。
ーHSC・不登校から、教育そのものを問い直すー
2027.1.23(土)NAGANO
主催:信州親子塾
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