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〜Feel the nature of Nagano〜

県歌「信濃の国」を巡り、長野の自然を体感しよう。
 

​9月 〜中信・木曽編〜

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​9月 中信・木曽

長野県の県歌「信濃の国」に登場する名所をめぐるため、中高生が主となって企画をした9月の自然体験ツアーは、信濃の国の二番に登場する「木曽川」「御嶽山」三番の「木曽の谷」 四番の「寝覚めの床」「木曽の桟」五番の「旭将軍義仲」など、長野の中信を主とした場所へ赴いた。

 

県歌 信濃の国
 

二番 「御嶽 乗鞍 駒ヶ岳」

   「南に木曽川 天竜川」
 

三番 「木曽の谷には真木茂り

 

四番 「旅のやどりの寝覚めの床」

   「木曽の桟かけし世も​」

 

五番 「旭将軍義仲も」


​活動の記録

〜旭将軍義仲も〜

旭将軍義仲とは平安時代末期の信濃源氏であり、源義仲と源義経とは従兄弟にあたる。本名は源義仲であり、木曽義仲、また平家物語では旭将軍と呼ばれている。女武者である巴御前とともにいくつもの戦を勝ち抜いてきたことでも名が知られている。倶利伽羅峠の戦い・篠原の戦いでは平氏の軍を破り入京し活躍したが、皇位継承への介入により人望をなくし、源軍によって粟津の戦いで討たれた。

 

信濃の国5番には様々な長野県にルーツを持つ歴史に名を馳せた偉人たちが登場する。義仲もその1人であり、平安時代の二大勢力の源氏側の将軍でとても活躍した人物だった。その義仲の歴史を学ぶため、キャンプ場への道中にて、「義仲館」へ赴いた。参加者は前日に事前学習を行ったが、まだあまりはっきりしない義仲に対する疑問がたくさんあった。なぜ人望をなくすようなことをしてしまったのか、そもそもどんなふうに長野県の木曽と関係しているのかなど、インターネットだけの情報ではあまりはっきりしないことが多かった。そのため、義仲館に入ると参加者は実際の義仲の容姿や、義仲の仲間、そして戦いをともにした巴御前についてなどが展示されており、参加者は段々とぼんやりしていた義仲へのイメージがはっきりとしてきた様子だった。そして義仲が軍を率いて戦た戦の数々の詳細や、巴御前との出会いと別れ、そしてその2人が別れた後の結末など様々な情報を目にした参加者は、人望をなくし自らの陣営に討たれてしまったが、その義仲自身はとても戦にたけており、力強い将軍だったということが分かり、「思ったよりもすごい人だった」「最初は悪い人なのかと思っていたけど、そういうことじゃなくて彼自身の考えを貫き過ぎたのかもしれない」などとの考えや感想があり、平安時代の将軍、義仲の生き様は自らの考えや意見などを突き通すことによって生まれる力強さと、それによって周りから受ける反感、生きづらさなど、現代にもつながるメッセージを残しているのであろう。

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​​​〜木曽の桟かけし世も〜

長野から出発し、一番最初の目的地は「木曽の桟」。すぐそばにある赤いいかにも桟の風貌をしている橋と間違えそうになるが、その橋の手前の道路自体が「木曽の桟」である。参加者は最初その隣の橋と、木曽の桟の見た目の差に困惑して、「なんでこれが有名なの?」と疑問を抱いていた。それのそのはずであり、「桟」という名には似合わない地形に沿ったコンクリートと石造の橋のような道路のような現代的な見た目をしているため、なぜ信濃の国にでてくるのか、なぜ有名なのか見ただけではすぐにわからないのである。その橋の反対側の赤い橋を渡って移動して少し川の方へ歩いて下ると、緩やかな流れの木曽川と角張っていない花崗岩がよく見える。参加者は「あんまり橋も高くないし、川の流れも穏やかだから危なくないと思う。」などと、現代の木曽の桟の姿を見て、昔に日本の三大難所と言われていた割にはその様子が見られないことに少々残念そうだったが、昔木曽川はとても流れが激しかったこと、今のように石造ではなく丸太を崖に差し込み、崖の肌に生える蔓植物を丸太にからませて安定させていたとても燃えやすく、かつ壊れやすい橋であったことなどの現代の桟の姿と、昔の桟の姿と置かれていた状況の説明があると参加者は驚いた様子で、「今の姿だと全然想像できないね」「そこまで危なかったのに今でもあるってことはそれだけ大事な道だったんだね」などと桟ができた経緯とまだ残っている理由などを想像している姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜南に木曽川天竜川〜 〜木曽の谷には真木茂り〜​​​

長野県木曽郡の鉢盛山を源流として、木曽谷の渓谷を下って、岐阜県、愛知県、三重県などを流れて伊勢湾に注ぐ河川である。延長229kmであり、昔は「暴れ川」と言われるほど流れの激しい川であった。

木曽の谷とは現代でいう「木曽谷」の地形のことを指し、長野県南西部に位置する木曽川上流の流域一体のことを指し、御嶽山や木曽駒ヶ岳などが東西に聳える。

 

今回は長野の南に流れる、二つの川のうちの「木曽川」に焦点を当てたツアーを行った。

木曽川は山から流れ始め、地形を削り、谷を作り出したことが特徴であり、これは信濃の国三番に登場する木曽の谷とも深く関係している。その木曽川の支流である阿寺川沿いにあるキャンプ場にて二泊三日のキャンプに参加者は挑戦し、様々なチャレンジや学び、発見があった。キャンプ場までの道のりでは、木曽谷のという特殊な地形を体感できる景色が広がり、また参加者の「他の森と違って、木が真っ直ぐな気がする」という発見があった。これは信濃の国の歌詞にある通り「木曽の谷には真木茂り」と、木曽谷には真っ直ぐな幹が特徴の木曽ヒノキが群生しているため、他の森林とは一風変わった景色が広がるのである。キャンプ場に到着し、まず参加者は宿泊のため、それぞれ担当のテントを協力して設置した。事前学習の中で練習したこともあって、比較的スムーズに進んだところもあったが、参加者の大半が未経験だったため、難しい部分は何度か設置したことのある中学生などが小学生に教えながら進め、時間のかかったところもあったが、最終的に全てのテントを完璧に設置することができた。テント設置後はキャンプ場沿いを流れる木曽川の支流、阿寺川での川遊びを楽しみ、参加者は「水が綺麗すぎて底まで見える!」「水がすごく冷たい!」「結構深い!」などと阿寺川の特徴的なエメラルドブルーの水の中で泳ぎ、小魚を観察したり、川での体験を楽しんでいた。また、川の流れによって削られた大きな石や、四メートルほどある崖から川に飛び込んだりもする姿や、川への飛び込みという初めての挑戦にためらいを覚える参加者に対し、安全な方法や、飛び込みの心得を教え、そっとそばで見守る姿もあった。その後のバーベキューでは、火おこしから参加者が行い、調理なども参加者同士で協力し、一日を振り返りながら食事をした。

二日目は午前中に「寝覚の床」に出発し、帰ってきた後はキャンプ場でのカレー作りにチャレンジした。飯盒炊爨に参加者は挑戦し、水加減や火加減を調節しながらとても美味しいカレーライスが完成した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事の後は二日目の川遊びの時間、前日とは違い川を上流の方へ登ってみたり、川の流れに身を任せて流れてみたりと、参加者も前日よりも慣れた様子でさらに楽しく、新しい川遊びの方法を見出す姿があった。また、最初は虫や川の冷たさに怖さを感じていた参加者も周りの様子につられて、少しずつ恐怖心を克服し、最終的には川と自然を楽しんでいた。二日目の夕食も一日目の夕食のように参加者の力で準備し、暗くなってくるとたくさんの夏の星が空に輝き始め、「いつも見てる空なのに場所が違うだけでこんなによく見えるんだね」と普段市内から見える夜空との違いに感動しながら、一日を振り返りながら、このキャンプでの楽しかったことや、面白かったことなどをシェアしながら最後の夜を過ごした。振り返りから、このキャンプを通して参加者は、川遊びの楽しさや、遊び方の無限大さ、またどうしたら安全に遊べるのか、など川遊びに関する新たな発見や、川の美しさやそこに生える植物、生物など全てがこの川周辺の自然の形態を守っていること、そして綺麗な川で何年も後も遊び続けるにはそのサイクルを守っていかなくてはいけないことを学んだ様子だった。

 

 

〜旅のやどりの寝覚の床〜

「寝覚の床」は長野県上松町にある国立公園であり、国の名勝として認定されており、川底の花崗岩が川によって侵食されてできた自然地形である。もとは川底にあった花崗岩だったが、木曽ダムの建設に伴い、急流だった流れが緩やかになり川の水位が下がったことにより、美しい景色が完成した。また、寝覚の床は浦島太郎伝説に関係しており、人々が自分のことを知らないことを驚いて、その後諸国を旅した浦島太郎は寝覚の池に気に入り、釣りなどをして過ごしていたが、ふと開けてはいけないと言われた玉手箱が気になり、開けてしまったのである。そして三百歳老いてしまった浦島太郎は嘆き悲しみ、寝覚の池から姿を消したのである。

 

キャンプ二日目の朝、朝食はいただいたチキンラーメンを美味しく食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その後、上松町へと出発した。到着して、それぞれ寝覚の床の景色を見るため急な階段や坂道を下り、参加者は汗をかきながらやっと到着した寝覚めの床の美しい景色に心を奪われ、「こんなに大きい岩が川底にあったの?!」「全部岩なのにゴツゴツしていなくて滑らかだね」などと、寝覚の床特有の花崗岩の大きさや、その形、この景色が作られた経緯にとても驚く姿がたくさん見られた。大きな岩が連なる景色の上には浦島太郎伝説に関係する「臨川寺」が佇んでおり、そこに向かうには連なる岩たちを登っていかなくてはならないため、参加者は協力して手を貸しあって底まで辿り着いた。「臨川寺」は傷心した浦島太郎の出来事を祀るため建てられた寺であり、大きさこそは小さいものの、異世界のような地形の上に佇む姿はとても威厳があり、神秘的であった。参加者はその寺の周りに生える植物を観察したり、そこから見える景色を堪能して、帰りの路も協力しながら無事バスまで辿り着いた。帰りの道ではあの大きな岩の上に生えた植物について「あの岩の上に植物が生えるまでどれだけ時間がかかったのかな」と自然が作りだす景色に要する月日に思いを馳せたり、「あそこまで大きな岩を侵食していた川の流れってものすごい!」と今では見られない川の激しさを思い浮かべる姿が見られた。静かで神秘的な景色と、伝説が交わった美しい名勝だったが、参加者はそれだけでなく、そこに隠れる自然の力強さも感じていた。

 

 

 

 

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​〜御嶽山 ロープウェイ〜

キャンプ3日目の朝​は自分の好きな日清カップヌードルを食べた。

















その後皆で協力してテントを撤収し、御嶽山に向かった。
御嶽山(おんたけさん)は、長野県と岐阜県にまたがる日本百名山の一つである独立した成層火山。標高:3,067 mと、この間の東信編で行った浅間山よりも500mほど高い。山頂部には土砂災害や噴火活動などでできた火山湖、美しい高山植物、原生林など自然豊かな山としても知られている。

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​「ロープウェイでの景色が綺麗だった」「ブランコが気持ちよかった」
「空が美しかった」「山の植物が綺麗だった」「鳥になった気分」
​「酸素が薄く感じた」「天気が良くて空が綺麗だったが山頂に雲がかかっていたのがとても残念だった」「眠かった」

 

​〜奈良井宿〜

奈良井宿は中山道に位置する宿場町である。江戸時代の参勤交代にも関係しており、江戸時代の面影を残す場所である。木曽周辺に関わる伝統工芸品なども奈良井宿では盛んに販売されている。
 

もう一つ、信濃の国には登場しないが赴いた場所は「奈良井宿」であり、参勤交代の際大名たちが宿泊した歴史ある宿場町である。日本の伝統的な建物が道の両側に所狭しと並び、入り組んでいるように見えるが、真っ直ぐに道に沿って厳かに佇む姿が整然さを感じさせる。参加者は到着後それぞれ散策し、昼食をとった。散策中参加者は様々なお店に「木曽漆器」が売られていることに気が付き「この器とかお箸とかって木曽谷の木曽ヒノキを使ってるんだ」や、「この場所の建物とかも木曽ヒノキでできてるのかな?「真っ直ぐで曲がりにくいきだから今でもちゃんと建ってるのかも」と自分たちが学んだことから、木曽谷の自然が生み出す木曽ヒノキや漆などがどのように人々の生活を支えて、木曽の文化と関係しているのかを考察していた。他の参加者は「参勤交代みたいな、歴史に深く関わってた場所が長野県にあるなんて思いもしなかった」と有名な歴史との関わりに驚いており、その場所に残る昔の人々や大名などへ思いを馳せながら長い道じっくりと味わいながら歩いていた。木曽の自然を体験し、そしてその自然が人々の文化や暮らしを作っていたということ、そしてその文化や暮らしは歴史として今の私たちにも残されているという、自然と人間と時間という三つの関係の繋がりを改めて感じることができ、参加者たちはこの中信編ツアーの総まとめのような時間を過ごした。

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​「橋がすごい綺麗だった」「ここにしかない雰囲気を感じられた」「昔に来たような感じ。まるでタイムスリップのようだった」「雰囲気最高!オサレ」「公園の遊具も茶色くて、景観が保たれていて、いい感じだった」「山賊焼が美味かった」「五平餅が有名なだけあってすごい美味しかった」「京都っぽい感じがした」「大名行列がたくさんここに宿泊したのかと思うと、不思議な感じがした」「街の雰囲気が、その当時のまま保たれていて、感動した」

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