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〜Feel the nature of Nagano〜

県歌「信濃の国」を巡り、長野の自然を体感しよう。
 

​8月 〜犀川・久米路橋編〜

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​8月 犀川、久米路橋

長野県の県歌「信濃の国」に登場する名所をめぐるため、中高生が主となって企画をした8月の自然体験ツアーは、信濃の国の二番に登場する「犀川」と四番の「久米路橋」。その両方を体験することができる信州新町でのSAP体験を企画した。​

県歌 信濃の国
 

二番 「流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川 南に木曽川天竜川」


四番 「心してゆけ久米路橋」

 


実際に犀川に入りサップを体験。大自然を感じずにはおれない貴重な時間であった。 

​活動の記録

〜流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川〜
 

 「犀川」とは信濃川の支流の一つであり、支流の中でも最大の延長と流域面積である。

長野市信州新町を流れ、そこでは水内ダムが建設されています。

 参加した子どもたちの多数が犀川に耳馴染みがあり、身近に流れる川である犀川だが、我々が普段よく目にする犀川の姿は千曲川とが落ち合う「落合橋」や、自転車の旅で渡る「村山橋」であり、犀川そのものの、広く長く、くねって流れる姿はあまり見かける機会はありません。そのため参加者は道中の車内で「犀川ってこんなとこから流れてきてるんだね。」「意外と大きい川だったんだ!」と驚いていました

 

 目的地に到着し、まずはツアーガイドから陸上でのSUPのレクチャーを受け、左右前後に漕ぐためのパドルの使い方、持ち方などを練習したら、実際にSUPに乗ってそれぞれこぎ方や立ち方を実践してみました。参加者はまずSUPそのものにのって立つという困難に直面したが、それぞれ勇敢にチャレンジしていました。すぐに立てるようになる子もいれば、水の上でグラグラと揺れるボードと長い奮闘の後立てるようになった子もいました。実践練習の後は犀川のツアーが始まり、犀川の流れによって削られた地形や、小さな滝、様々な植物など、犀川が今まで育んできた美しい自然を体感することができました。大きな岩が削られた様子を見て、「SUPができるくらい穏やかな犀川なのにどうしてこの岩はここまで削られたのかな?」や「とても曲がりくねっているけれどどうしてこんなふうになったのかな?」「昔はもっと流れが激しかったのかも。」など色々な疑問や考察が子ども達の間で浮上してきた。

 

 また、信州新町では犀川の一部がダムとなっており、人工のトンネルなどもあり、「どうしてこのトンネルは建設されたのかな?」「ダムがあるから川の流れを少し変化させるため?」という疑問に自分なりに考える姿もみられそれぞれ、自然と人工物のつながりや犀川が作り出した地形から学びを得ていました。

​ SUPから眺める久米路橋のアーチの下で写真撮影するのも一苦労。川に流され、一堂に会するタイミングは一瞬であったが、それもまた楽しみながらの時間でした。

 

 ツアー後半、参加者は段々とSUPの扱いにも慣れてきて、他の参加者と落としあったり、SUPの上で逆立ちやバランスをとったり、SUPの上から水に飛び込んだりといろんなことにチャレンジし楽しむ様子が見られました。

 

 帰り道でも「また明日もここにきてSUPをしたい。」「すごく楽しかった!」という声があり、とても気に入ったようでした。犀川という広大な川で自分の力で漕ぎ、自分の目でその美しさや大きさを体感できることは貴重であり、また学びの多い体験になりました。



〜心してゆけ久米路橋〜

 

 久米路橋は、信濃川水系犀川中流の狭窄部に架かる道路橋であり、アーチ型になっています。

 

 「信濃の国」の四番には二つの橋がでてきます。『木曽の桟』と『久米路橋』で、その二つは昔、まだ橋が木造だった時代で崩れやすく、注意して渡らなければ命が危ないような橋でした。久米路橋には父娘にまつわる秘話が残っており、久米路橋は虫に食われ、崩れやすくなっていたり、天候が荒れ、川が氾濫するたびにすぐに崩れてしまうような橋だったため、病に苦しむ娘のために盗みを働いた父親を、川の氾濫を沈め、橋を守るための人柱として生き埋めされてしまったのです。その父親の盗みが知られしまった要因は彼の娘が自慢のために口を滑らしたためであったため、娘は自責と衝撃のため口を聞かなくなったが、鳴き声を上げたがために撃たれたキジをみて「キジも鳴かずば撃たれぬことを」とだけ口にし、その後もまた一言も話さなくなってしまったのです。

 

 この話を聞いて子ども達は、「さっきも思ったけど、やっぱり昔の方が流れが早くて激しかったのかな?」「悲しい話だけど、けど学ぶことがあるよね」とそれぞれの思いを馳せていました。また「信濃の国」に登場するような橋なので、もっと大きかったりすごく特徴があるのかと思いきや、参加者が想像していたよりも小さかったことに多くが驚いていましたが、「こんなに小さいのに有名になるってどれだけ危なかったんだよ!」や「確かに流れが激しかったら落ちたら一貫の終わりだね。」と昔を想像している参加者の姿も見られました。現代と昔の違いから、技術の発展によって安全に通れるようになった久米路橋のありがたさを感じながら、犀川と私たち人間の長い歴史をこの久米路橋は伝えているように感じました。

 今回の犀川・久米路橋編では、SUPに乗って川の上から久米路橋を下から見たあと、久米路橋の上から犀川を見る経験をしたが、全く違う見え方でした。

 「心して行け」の歌詞にある通りなのか、実際に近代の久米路橋は、大雨などがあるたびに流されてしまう橋として有名で、現時点でも多くの修理跡があった。

 橋の周辺には、佐久間象山「お手植えの楓」や、象山先生の教え子である勝海舟の歌碑があり、6月の北信編での学習に、思いがけずにつながりました。

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