返事がない。それだけで、なぜ不安になるのだろう?
― それは、事実? それとも、私の解釈? ―
120 DAYS PROJECT|Week 6
返事がなかった。それだけのことなのに
子どもに声をかけたけれど、返事がなかった。
そんな経験はありませんか?
「無視された」
「何か怒っているのかな」
「私のことを嫌っているのかもしれない」
たった一つの出来事から、私たちの頭の中には、いろいろな考えが浮かんできます。
でも、ここで少し立ち止まってみたいのです。
実際に起きたことは、何だったのでしょう?
声をかけたけれど、返事がなかった。
確認できる事実は、今のところそれだけです。
「無視された」というのは、その出来事に私が与えた意味なのかもしれません。
私たちは、出来事に物語をつくる
人は、目の前で起きたことを、そのまま受け取っているとは限りません。
これまでの経験や価値観、思い込みを通して、出来事に意味を与えています。
例えば、返事がなかったとき。
「嫌われているのかもしれない」と思えば、不安になる。
「反抗している」と思えば、腹が立つ。
「何か考え事をしているのかな」と思えば、少し様子を見ようと思うかもしれません。
出来事は同じでも、そこに与える意味によって、感じ方も、その後の行動も変わってきます。
ただし、どの解釈が正しいのかは、まだわかりません。
相
手が何を感じていたのかも、本人に聞かなければわからないことがあります。
それなのに、私たちは自分の解釈を、いつの間にか事実のように扱ってしまうことがあります。
「この子は、こういう子だから」
子育てや教育の場面でも、同じことが起きていないでしょうか。
学校に行かない。
「嫌なことから逃げている」
勉強をしない。
「やる気がない」
何も話さない。
「心を閉ざしている」
でも、それは本当に事実なのでしょうか。
学校に行っていないことと、逃げていることは同じではありません。
勉強していないことと、やる気がないことも同じではありません。
私たちは、知らないうちに自分のつくった物語の中で、子どもを見ているのかもしれません。
そして、その物語に合わせて、子どもを変えようとしてしまうこともあるのでしょう。
判断をやめるのではなく、気づいてみる
だからといって、解釈してはいけないわけではありません。
人が意味を考えるのは自然なことです。
大切なのは、自分が今、解釈していることに気づけるかどうか。
「私は、無視されたと思ったんだな」
「私は、この子の将来を心配しているんだな」
そう気づくだけでも、目の前の出来事との距離が少し変わるかもしれません。
すぐに答えを出さなくてもいい。
自分の解釈を否定しなくてもいい。
ただ、事実と解釈を分けてみる。
そうすると、それまで見えていなかった可能性にも目を向けられるかもしれません。
あなたは、何を見ていますか?
Week5では、「あなたは、何を見ていますか?」という問いを残しました。
今週は、その問いをもう少し深めてみたいと思います。
私たちは、目の前の子どもを見ているのでしょうか。
それとも、自分の経験や不安から生まれた物語を見ているのでしょうか。
「それは、事実? それとも、私の解釈?」
子どもを変えようとする前に、まず、自分の見方に気づいてみる。
そこから、これまでとは違う関わり方が見えてくるのかもしれません。
120 DAYS PROJECT|Week 6
2027年1月23日のフォーラムに向けて、
HSC・不登校を入り口に、
教育そのものを問い直す120日間。
子どもを変えない教育。
ーHSC・不登校から、教育そのものを問い直すー
主催:信州親子塾
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