top of page

待つことと、放っておくことは、何が違う?

10月26日
読了時間: 6分

― 何も求められなかったから、自分の時間を生きられた ―

【120 DAYS PROJECT|Week 5】

 


信じて、待っているつもりだった


先週のWeek4では、

「子どもを信じるとは、どういうことだろう?」という問いを置きました


子どもを信じているつもりで、

実は大人が期待する結果を待っているだけになっていないでしょうか

 

学校に戻ること

勉強を始めること

自分から動き出すこと

 

私たちは、そんな未来を思い描きながら、子どもを見ているのかもしれません

 


では、子どもを信じるとは、何もしないで待つことなのでしょうか


それとも、必要なときに声をかけ、何かをしてあげることなのでしょうか


待つことと、放っておくことは、何が違うのでしょう

 


「心配されると、自分の力がなくなっていく」

 

信州親子塾で過ごしてきた子ども・若者たちの言葉には、

私たち大人が気づいていた視点を、見事に言語化する力に驚くことが多々あります

 

親子塾の若者の一人は、こんなことを話してくれました

 

「心配されると、自分の力がなくなっていく感覚になる」

 

心配することは、相手を大切に思うこと

私たちは、そう考えがちです


もちろん、心配する気持ちそのものが悪いわけではありません

 

でも、その心配は、相手にどう届いているのでしょう

 

「このままで大丈夫?」

「何かした方がいいんじゃない?」

「これからどうするの?」

 

大人にとっては、相手を思う言葉だったとしても、

受け取る側には

「今の自分では足りない」

というメッセージになっていることがあります

 

「自分の力を信じてもらえていない」

そんなふうに感じることもあるのでしょう

 

ここで考えたいのは、心配してはいけないということではありません

 

私は今、この子の何を見ているのだろうか?

 

できていないこと?

動き出していないこと?

将来への不安?

 

それとも、今ここにいる、その子自身でしょうか?

 


「本当に良い意味で、本当に放置ですよ」

 

別の親子塾の若者の言葉も印象的です

 

信州親子塾での関わりについて、こんなふうに話してくれました

 

「本当に良い意味で、本当に放置ですよ」

 

そして、そこには大切な続きがあります

 

「でも、よく見ている」

 

何かをするように求められない

何かを達成するように期待されない

だからといって、誰からも関心を向けられていないわけではない

むしろ、自分のことをよく見てくれている

自分でも気づいていなかったことまで、理解しようとしてくれている

 

そんな関係があったのだと思います


信州親子塾では、設立当初から

「全受容と健全な放置」

を大切にしてきました


でも、私たちが考える健全な放置は、無関心とは違います

 

何もしないことを決めているわけでもありません

目の前の子どもを見ている

その子の気持ちや状態に関心を持っている

必要なときには、一緒に考える

 

ただ、大人の期待する方向へ動かすために、先回りして関わろうとはしない


何もしないことと、何も見ていないことは、同じではありません

 


何も求められなかった時間

 

この若者の話で、もう一つ大切にしたいことがあります

それは、自分と向き合うための時間についてです

 

私たち大人は、

子どもに何かを経験させたり、

考えさせたりすることで、

成長を促そうとします

 

「自分のことを考えてみたら?」

「何か好きなことを見つけてみたら?」

「将来について考えてみようよ」

 

でも、そんな言葉さえ、本人にとっては新しい課題になってしまうことがあります

 

自分と向き合うことまで、大人から求められてしまう

 

それでは、いつの間にか

「自分のための時間」が

「大人の期待に応える時間」に

なってしまうのかもしれません

 

この若者が語ってくれたのは、


自分を見つめるように促されたのではなく、

ただ、そのための時間があったという経験でした

 

何かをしなければならないわけではない

今の気持ちを言葉にできなくてもいい

すぐに答えを出さなくてもいい

 

そんな時間の中で、少しずつ自分自身に目を向けられるようになった

何も求められなかったから、自分の時間を生きられた

このことには、大きな意味があるように思います

 


「どうすればいい?」から「私はどう在る?」


ここまで読んで、

 

「では、子どもには何も言わない方がいいのでしょうか」

「どこまで待てばいいのでしょうか」

 

そう感じた方もいるかもしれません

 

でも、今回考えたいのは、”正しい待ち方” ではありません

 

声をかけることが正解でも、声をかけないことが正解でもない

何かをすることが正解でも、何もしないことが正解でもない

 

大切なのは、そのとき、自分がどんな思いで子どもの前にいるのかということ

 

心配している自分がいる

早く動き出してほしいと願っている自分がいる

何かしてあげなければと焦っている自分がいる

 

そんな自分に、まず気づいてみる

そんな自分に、自覚的であること

 

そして、その気持ちを否定せずに受け止めてみる

 

子どもを変えようとする前に、自分のまなざしに気づく

 

それは、子どもに何かをする方法を学ぶこととは、少し違います

 

自分がどんな在り方で、目の前の子どもと一緒にいるのか

そのことに目を向ける時間なのだと思います

 

もちろん、子どもが困っているときや、安全を守る必要があるときには、大人が関わることも大切です

信頼とは、必要な関わりを手放すことではありません


 

あなたは、何を見ていますか?

 

私たちは、子どもの未来を心配します

それは自然なことです

 

でも、未来を心配するあまり、今ここにいる子どもを見失っていないでしょうか

 

子どもが何をしているか

何ができるようになったか

どこまで成長したか


そんなことばかりを見ていると、

今、その子が感じていることが見えなくなるのかもしれません

 

そして、子どもに向けているそのまなざしは、

自分自身にも向けられているのかもしれません

 

何かができなければいけない

期待に応えなければいけない

もっと成長しなければいけない

立ち止まってなんていられない

 

そんな思いを、自分自身にも向けていないでしょうか

 

子どもを信じることも、

自分を受け止めることも、

何かを達成するための課題にしなくていい

 

ただ、今の自分に気づいてみる

 

そこから、子どもとの関係が違って見えてくることもあるのだと思います

 

待つことと、放っておくこと

その違いを、行動だけで決めることはできない

 

同じように何もしていなくても、そこにあるまなざしは違うことがある

だから、今週はこの問いを残したいと思います

 

あなたは、何を見ていますか?

 

 

120 DAYS PROJECT|Week 5

信州親子塾では、

WAM助成事業「HSCを生きづらさにしない!」に

取り組んでいます

 

2027年1月23日のフォーラムに向けて、

HSC・不登校を入り口に、教育そのものを問い直す120日間

 

子どもを変えない教育。

ーHSC・不登校から、教育そのものを問い直すー

2027.1.23(土)NAGANO

主催:信州親子塾

 

 

 

 
 
 

最新記事

すべて表示
返事がない。それだけで、なぜ不安になるのだろう?

― それは、事実? それとも、私の解釈? ― 120 DAYS PROJECT|Week 6 返事がなかった。それだけのことなのに 子どもに声をかけたけれど、返事がなかった。 そんな経験はありませんか? 「無視された」 「何か怒っているのかな」 「私のことを嫌っているのかもしれない」 たった一つの出来事から、私たちの頭の中には、いろいろな考えが浮かんできます。 でも、ここで少し立ち止まってみたいの

 
 
 
子どもを信じるとは、どういうことだろう?

― 期待する結果を待つことと、無条件に受け止めること ― 120 DAYS PROJECT|Week 4 「このままで、大丈夫だろうか」 子どもが学校に行かなくなった。 昼夜が逆転している。 ゲームばかりしている。 将来のことを考えているようには見えない。 そんな姿を見ていると、親として心配になるのは自然なことです。 いつか学校に戻ってほしい。 いつか勉強を始めてほしい。 いつか自分か

 
 
 
才能の源泉

閉塞感のある息苦しい生活 本人がそう感じたとき その中で、生きる希望を見出すには 「現実とは別の世界」が必要になるかもしれない それをキャンバスに見出す人 アニメや漫画の世界に見出す人 本やダンス ゲームやスマホ 音楽 スポーツ と言う人もいる 芸術的な才能を持つ人の多くが...

 
 
 

コメント


bottom of page